No interests in trends.

流行を追うことに興味はありません。

革新的で素晴らしいコンセプトを打ち立てることに興味はありません。

No interests in innovative concepts.

Just passion to create something beautiful.

ただ美しいものを作りたい。

Dresses that change the air around you in a twinkle.

纏った瞬間に

その人を包む空気が変わるような

服が作りたい。

If our dresses make you a better day,

that will make our day.

あなたの今日を少しでも良い方向にすることができたらなら

それが全てです。

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 INTERVIEW

 RADIO

※ミュージックオフにしてご視聴下さい



Hair&Makeup                  

宮坂 和典 (mod's hair)



mod's hair所属。広告、CF、PV、ファッション雑誌やアーティスト、タレント
アスリートなど幅広い分野で活躍。
ARIKIのシーズンビジュアルにも数回参加して頂いています。

PROFILE
1994年 資生堂入社
MASAサロンにて7年間のサロンワークを経て、ヘアーメイクとして活動をスタート。
資生堂在籍中は、広告・CMを中心に数多くのタレントやモデルのヘアーメイクを担当。
2005年よりニューヨーク・パリ コレクションのバックステージへ参加。
ISSEY MIYAKEなどのヘアーメイクチーフを務める。
また、国内化粧品だけでなく、中国化粧品(AUPRES)・グローバル化粧品(SHISEIDO MAKEUP)など、メーキャップ商品開発なども担当。
2010年 資生堂退職し、フリーランスとして活動。
2012年 mod's hair所属。
広告、CF、PV、ファッション雑誌やアーティスト、タレント、アスリートなど幅広い分野で活躍。
http://www.modshair.co.jp/agency/detail.php?artist_id=14


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<宮坂さん>

-ご自分の職業をなんと表現されていますか?

”ヘアーメイク”というフレーズが一番しっくりときます。
ヘアーメイキャップアーティストだと僕はあまりしっくりと来るタイプでなくて、
“ヘアーメイク”というのが自然だと思います。

-ヘアーメイクの道に進むようになった経緯は?

元々ヘアーメイクという業種を全く知らないで美容の世界に入りました。というのは、
美容師さんになりたいと思ったのがそもそもの僕の美容の世界へ進んだきっかけでした。
小さい頃から身なり・洋服などを考えることは好きだったのですが、
高校三年の夏まで野球しかしてこなくて丸坊主で、髪の毛で何かして来たことは全く無く、
ただそれでも“野球部にみえたくない”というのは凄くあって、
こういうものを身に付ければ・こういう帽子を被れば野球部風に見えないかなと考えるのが好きでした。

進路を考えた時に、手に職をつける職人というよりは自分の好きなことを仕事に置き替えようと思い、
最初は洋服をつくる道など様々な選択肢を考えました。美容師はそれらの選択肢の後の方に出て来て
髪を切って人を綺麗にする仕事でそれで自分のお店を持つって何だかいいなぁって思ったんです。
美容室という場へ行ったことが無く、小さい時に前を通ったりして髪をいじっている美容師さんが
格好良くて憧れを感じていました。

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<PARALLEL#1>


洋服の世界は自分にはあまりにも壮大な世界な印象があって、どちらかというと想像しやすく目に触れやすく現実味もあり
もしかしたら自分も頑張ればそういう風になれるのかなと美容師になろうと思いました。

―ではかなり世界が変わったのでは

もうガラリと変わりましたね。急に言いだしたものだから、
周りの人も僕が本当にそういうのがやりたくて進むのではなく
とり敢えず行くあてが無いから専門学校に行くのだと思われていたと後々聞きましたね
母は分かってくれていたようですけど。

―専門学校へ入ったきっかけは?

専門学校の入学に対して当時の僕は凄く簡単に考えていて、願書を出したら行ける
という感覚でしたので少しのんびりして受験をスタートしたんですね。
そうしたら、いざ願書の請求をしようと思って都内の有名な各学校に電話をしたら
どこもかしこも定員がもう埋まってしまっていたんです。
それが幸いしてか、唯一都内で二校だけまだ二次募集していたところの一つが資生堂だったんです。

そこで1年間勉強をして(当時の専門学校は一年制だった)、
その後1年間インターン生として技術を学び、国家試験を受けるという形でした。
就職先の美容院を選ぶ際に、周りの人は美容の世界を知って入って来る人が多く
当時は美容師ブームの来る少し前ということもあり、
表参道・原宿街道では名の挙がる美容院がいくつもあって
多くの人はそちらに目を向けていたのですが、僕は一つも知らなかったんです。
そんな時期に、狭き門だけれど資生堂の会社に入る試験があると聞いてトライしてみたら合格しました。
まず1年間シャンプーやマッサージなど見習いとして働き、次の年に社員になる為の試験を受けました。

インターン生全員が受けて、その年は二つ枠があったのですが、
そこに引っかかり資生堂へ入社しました。そこからはサロンワーク、
髪を切る練習をして一人でお客さんの相手が出来る様な技術の鍛錬をして
技術者になり年数を重ねて行きました。
会社が大きかったので、一部の若手がサロンワーク、
それ以外はヘアーメイクという仕事をしている人達が同じビルの中にいたんです。

でも、まだ僕はその頃ヘアーメイクというお仕事を知らなくて(笑)

社内教育でそういった方々にメイクや技術を教えて頂く機会があって、
そこでテレビで見ていた様なCMや広告はこんなに身近な人達がしていたのだと知りました。
最初はそちらの道に行く気は無かったのですが、鍛錬を重ね、お客さんも増えて技術も上がってきて、
せっかくヘアーメイクという活動の場がある会社にいて
自分のステップアップを考えた時にやはりヘアーメイクがやりたいという気持ちが出てきました。

6年目位にヘアーメイクの方に進みたいと伝えましたら、
サロンで売上を持っていた事もありましてストップがかかって
2年後位にサロンワークを離れヘアーメイクの方に来ることが出来ました。
最初はアシスタントとして働き、男性のヘアーメイクからスタートして16年会社に在籍しました。

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<EsT.>

―インスピレーションの元はなんですか

“なんでも”です。“なんでも”というのは自分が日頃目の中に飛び込んでくるものだったりとか
雑誌で言ったら写真、お店で言ったら家具などの物体からであったりとか。
これらは形のことですけれど、メイクで言ったら色からインスピレーションを受けることもありますね。
仕事柄なのでしょうが、日常から感じることが多いですね。
何か特別なものから特別に感じるということはあまりないです。


―お子さんの誕生前と誕生後で自分のものづくりに何か変わったことはありますか?

時間の流れと時間の使い方が変わりましたね。
出来るだけ子供の“今”という瞬間に時間を使ってあげたいと思いますし、
そういった面からでは自分自身にかける時間は大きく減りましたね。
仕事の時は仕事、子供の前では子供の事をと区別し考えるようになりました。
それがいいかどうかは分からないですけれどね。


―ヘアーとメイク全体を作る際、どちらから入るのですか

時と場合によりますね。物によってはどちらかに重きを置きながら仕上げる
こともありますが、どちらにせよ全体的に頭の中では考えますね。
なのでどちらからと言うよりかは、トータルで考えるという方が主ですね。


―媒体が静止画のとき、動画のとき気を付けていることは?

メイクに関しては静止画であろうと動画であろうと変わらず綺麗に仕上げます。
ただ髪は、動くものを一枚の平面でとらえるのか、動画の様に動くことが映像となって魅せるのかで
異なって本当に髪の毛は難しいなと僕は今でも思います。
僕らのした仕事が目に付き過ぎても駄目ですし、
全てがシンクロしてこそ素晴らしいものが出来るのだと思いますので。屋外の撮影は大変ですね。
自然の風や光の中で上手くそれらを取り込んでくれるかどうかを考えなければならないですし
条件が変わればそれに準じて絶えず考え変えて行かなければならないですし。
でもね、どうにも出来ないときはどうにも出来ない(笑)自然には勝てませんよ。

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<ARIKI 2013SS>



―僕の撮影を海でお願いしたことがありますが、、、笑

それも同じ!ただあの時は、髪が綺麗に見えていないと世界観が出ないという感じではなかったし、
自然に任せた見せ方がリアリティのあるものになっていて良かった。
いわゆるコンサバ寄りの見せ方の場合だったらあの海の時も大変だったんじゃないかなと思います(笑)

―クライアントの考えを受け取り表現する際に気を付けていることは

極論を言うと、凄く作り込むものからノーメイクで撮影をする時もあります。
求められていることって結局、人と人が言葉を交わして調整するじゃないですか。
でも、ここに浮かんでいる画は三者三様でちょっとずつズレがあると思うんですよ。
そこでもし、自分が作る立場として少し違うアプローチを見せることで求めていたものの中でもちょっと転ばせてあげる事が出来るとか、 そのままストレートで表現してあげる方が求められている中では必要なのかとか色々頭の中で考えて判断しますね。 結局僕らが技術を施すことで、必要の無い足し算にならないようにその時の被写体の条件も加味して考えています。

―「敢えてやらない」というのはとても勇気のいることだと思うのですが

そうですね。手を施さないと仕事をした気にならない方もいるでしょうし、
施すことで満足感がうまれるものじゃないですか、仕事って。
でも、その過程ではなく出来上がったものがどうであるかが凄く重要だと思っています。

―洋服がある時はどう考えていますか? また、ヘアーメイクに対して要望が無い時はどうしますか?

要望がないときは考えられる方向性を二、三個に絞っていますね。
チームのイメージをまとめる際にみんなが理解して言っているのか、
それとも今ただ思いついたから言っているのか見極めて。
誰かがたまたま言ったアイデアがすごく良ければうまく取りこめるようにします。
ただ細かい技術を知っているのはヘアーメイクだけですので、頭に浮かべやすく全体像が少しでも 見やすい様に提案をしようと心掛けてはいます。洋服のディティールと一緒で少し違うと大分感じが変わって来てしまうので非常に難しい部分ではありますね。
洋服がある時は、自分たちの技術が洋服を後押し出来るものじゃないといけないなと毎回思います。
僕らの作品ではないのでヘアーメイクばかりに目線を集めてしまうのはどうなんだろうと考えますね(笑)
僕らの技術でより全体の世界観がまとまれば良いかなと思います。

―来たからにはやってやろうと思いがちですが、あえてやらないという選択肢もあるのと

僕も若い時はこの感覚がわかりませんでしたよ(笑)
要はやりたいんですよ。やることが楽しくて。でも自分たちが技術を見せられる場というのは
そういう場でちゃんとあって、見せるべき媒体・仕事の内容はそこで手を止めるだとか
塩梅を見極められなければいけないんだなって。
技術は覚えるとやはり使いたいし、自分が上手く出来るとそれだけで満足しちゃうんですよ。
けれどそれは、トータルではなく技術としてどう出来たかなんですよね。
だから後から考えると、それはまだ色んなことがわかってないってことで。
手先と頭の中の思考を使ってする仕事なのでそういう時期って絶対にあったと思いますね。
人間って色んな事が分かってくると頭が柔らかく考えられなくなって来る部分があって、技術が上がってくるとこうしといたら良いといのが見えてきて一か八かの冒険がある意味出来なくなるんですよ。
やり始めって笑われてもいいから自分のしたいことをするじゃないですか、でもそういのを今でもできているクリエイターの人たちを見ると気持ちを持ってやっている人だなと実感します。

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<装苑>




―ヘアーメイクでの女性へのアプローチと男性へのアプローチの違いは

どうしても男性は元々メイクをするものでは無かったのでどうヘアースタイルで新しい可能性を生み出すかなど、ヘアースタイルに特化して考えやすいですね。
女性の場合はメイクで変化をつけられるし、髪もたくさんつけられるので、その変化は大きいです。
女性はやれる範囲が大きい面白さと、男性はやることの少ない中でこその表現が面白いですね。
ちょっとしたニュアンスで表情が変わるので。そこは洋服とも似ていて難しくも面白い部分ですね。

―有名であったり活躍されている方とお仕事される機会が多いと思いますが、
そういう人に共通する特徴はありますか?

特に思うのは人がいい。柔軟性というのかな。
ベテランの方でも年齢差やキャリアの有る無しを重要視しない。一緒に仕事をするのならその人と
同じ目線にまで下がってくれているんだと思います。人を斜めに見ず、直球で見てくれるんです。
仕事を通してその人のファンになる人が多いですね。
先日若くして大きな仕事をされている方と仕事をしましたが、すごく素直な人でした。
これが好きだから、そこに当たってみた。そしたらそこがチャンスをくれた。
すごくシンプルに動いてそこで求められたものに結果を出していっているというか。
見ていて自分も励まされます。


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<APIA>

―イッセイミヤケやアレキサンダーワンなど海外のショーでお仕事されたこともあるとのことですが、
海外と日本での違いはありますか?

コレクションというものの考え方・重要性かな。
シーズンごとに海外は街を上げて注目しているけれど、日本はファッションの分野の人達だけで
やっている感じがありますね。それは歴史の長さなのか、洋服の捉え方の違いなのかはわかりませんが、 そういう温度差の違いは感じます。 仕事の流れは日本と海外で全く同じですね。

―これからのビジョンは

僕は技術をするのが好きですので少しでも長く技術をしていたいですね。
元々、美容師になりたかったのは髪を切って自分の技術で喜んで貰いたいというシンプルなもので、
それはヘアーメイクになっても変わらないです。現場に居たいというのが一番ですね。
自分のしてきた事が報われるのならば場所にはこだわりません。

―ヘアーメイクの魅力

自分一人で完結するお仕事ではないので、人とものを作るその上でその
一部分を専門性を持って自分が担当するという、そのパーツの一人として皆さんで
ものを作るという楽しさかな。その中で僕は技術をするのが今でも楽しいです。
求められたものを自分が作って喜ばれるのは当たり前で自分たちの専門性を活かして
想像と違ったものを作りでして行くというその過程がやはり一番の魅力かな。

―学生の人にアドバイスいただけますか

ある一定のことを続けることってとても大切だと思います。
楽しいと思える前でやめてしまう方が多いので、諦めないでいつか楽しいことがあるということを
忘れないことが重要ですね!

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取材 2013年12月
聞き手 有木良太
取材フォト/アシスト 中野百梨香
英語翻訳 岸本麻利

有木良太 / RYOTA ARIKI


1980年 東京生まれ

2004年 青山学院大学文学部フランス文学科卒業

2005年 バンタンデザイン研究所卒業

2005年 株式会社コムデギャルソン JUNYA WATANABE 布帛/カットソー企画生産

2011年 レディースブランド「ARIKI」立ち上げ



1980      Born in Tokyo,Japan

1999-2004  Aoyama Gakuin University

BA in French language and Literature

2004-2005  VANTAN DESIGNE INSTITUTE

fashion department

2005-2010  COMME des GARCONS, assistant for planning and production

department of Junya Watanabe COMME des GARCONS

2011      Start own brand 'ARIKI'